ここ数年、コロナ禍で神事のみの開催となっていましたが、約4年ぶりに通常の「傘焼き」を実施することが出来ました。
新型コロナ感染者の急増、台風の接近で無観客での開催や中止も直前まで検討致しましたが何とか開催する事ができました。ご協力を頂きました関係各位、そして開催を心待ちにしてくださいました県民の皆様に感謝申し上げます。
台風は去ったものの時折り叩きつけるような雨の降る中、石橋記念公園西田橋のたもとに約5メートルの傘の櫓が出現しました。 今日は「曽我どんの傘焼き」の日です。
4年ぶりの開催を聞きつけて、沢山の方が早くから、集まってくださいました。特に対岸にはアマチュアカメラマンの列が午前中から出来ていました。
開催を知らずに、水遊びに来ていた家族連れの方々の中には、一体何が始まったのかと不思議そうに見ている方もいらっしゃいます。
色とりどりの綺麗な和傘がたくさん広げられている姿は別世界にみえます。
集まってきた子供たちに「傘焼き」の由来を説明すると興味津々で聞いてくれます。
傘を広げるのを手伝いながら、夏休みの自由研究にすると言った子もいました。
やがて日が落ち、薄暗くなった川面には「薬丸野太刀自顕流」皆様の気迫あふれる演武と奇声が響き渡ります。まさに薩摩を肌で感じる事ができる時間です。
演武の間に、暗闇は広がり、辺りが漆黒の闇に包まれる頃、西田橋の上を和傘を担いだ締込み姿のニセ衆と甲冑姿の一団が、曽我兄弟の歌「狩場の嵐」を歌いながら傘のやぐらへと進んできました。
石橋を降り河原へ着いた傘焼隊は手に松明をかかげ傘のやぐらの周りを歌いながら回ります。
やがて手に持った松明でやぐらに火を放つと、一瞬にして燃え上がり漆黒の闇が炎で明るくなりました。燃えさかる炎に向かって次々と傘を投げ込んでいきます。
勢いよく燃え盛っていた炎もだんだんと小さくなり、やがてまた闇があたりを包むと今年の傘焼きも終わりです。
鹿児島に暑い夏がやってきます。
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