「曽我どんの傘焼き」行事
7月19日。甲突川の中州に20メートル四方の土の台座が出現した。 道行く人々から「あら、もうそげな時期けぇ〜」とか「なつかしなぁ〜」と言った声がかかる。 「曽我どん傘焼き」とは、建久4年5月28日曽我兄弟が父の仇討ちをはたした。その時、傘に火をともし松明代わりに用いた。とうい故事に由来する。 父の仇を討つまで18年。その間父への思いを絶やさず、目的を成し遂げたと言うことで、薩摩独特の「郷中教育」の中で親への『孝』を教える題材として取り入れられた。 |
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当日は、まだ明るいうちから人々が集まりだし、プレイベントの「和灯り幻想」や「リバーサイドコンサート」を楽しんだ。 川の中州に作られた台座では、薩摩琵琶弾奏、剣舞それに薩摩に伝わる薬丸野太刀自顕流が披露され傘焼きへの気分を高揚させた。 やがて、辺りに宵闇が迫りはじめた頃、白い締め込み姿のニセ(青年)や稚児(子供)衆が、曽我兄弟の歌「狩り場の嵐」を歌いながら南州橋を渡りはじめた。 ついに、やぐらに火を放つ時が来た。 やがて、炎は燃え尽き、辺りに静寂な闇が戻ってきた。 鹿児島に、熱い暑い夏がやってくる。 |
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お願い
例年行っている傘焼き行事ですが、傘焼きに用いる和傘が不足しております。
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29年度は台風のため中止