曽我どんの傘焼き鹿児島三大行事のひとつ曽我どんの傘焼きは、曽我兄弟の敵討ちにちなんだ行事である。 曽我兄弟が父の敵討ちの時に傘を松明代わりに用いて陣屋を進んだと言う。この故事にならって、傘焼きを行い曽我兄弟の孝行心を学ぼうと郷中教育(青少年教育)に取り入れられたという。 いまでは和傘の使用がめっきり少なくなり傘焼きの傘を集めるのにも一苦労しているが、鹿児島の夏の風物詩として毎年行われている。 今年も、7月23日(土)甲突川西田橋のたもとで行われた。 |
|
甲突川は、鹿児島市街を横切りるように流れる川である。 いつもは何もないその川に色とりどりの和傘で出来たやぐらが登場し、橋を渡る人々の目を引いた。 何が始まるのだろうか?疑問に思った人は少なかったであろう。「そうか、傘焼きの季節か、夏がきたな〜」と道行く人は、今日が傘焼きの日である事を突如として思い出したであろう。 日中は焼け付くような太陽に照らされた鹿児島も、よのいもて(夕方)になるとだいぶ過ごしやすくなる。川の両岸にも夕闇の訪れと共に人々が集まってきた。 締め込み姿のニセ(青年)と稚児(子供)がやぐらの立てられた台座に集まってきた。 この日の為に応援に駆けつけた剣詩舞道と自顕流の方々が舞と演武を披露し故事にちなんだこの傘焼き行事を盛り上げる。 突然、会場の照明が落とされた。一気にあたりは闇に閉ざされた。いつの間にか夕闇から漆黒の夜へとなっていた。 締め込み姿のニセらが、松明を手にやぐらの周りを回り始める。そして、ついにやぐらに火が放たれた。見る見る火は燃え上がり一瞬のうちにやぐらは炎に包まれた。 ニセらは次々と傘を炎の中に投じていく、岸辺で観ていてもこの熱さだ、相当熱いに違いない。しかし、ニセも稚児も傘を広げて果敢に炎の海へと突き進んでいった。 やがて、炎の勢いもおさまり、「今年の傘焼き行事」が終わった。 |
29年度は台風のため中止